七夕と「乞巧奠(きっこうでん)」

七夕と「乞巧奠(きっこうでん)」

 この耳慣れない「乞巧奠(きっこうでん)」という言葉は、中国から星伝説と一緒に伝わった習慣で、初めて日本で行われたのは奈良時代の事です。「乞巧(きっこう)」は巧みを乞う、「奠(でん)」には祀る(神をあがめる)という意味があります。そんな意味から、奈良時代の孝謙天皇という女性の天皇が技巧や芸能の上達を願って、「乞巧奠」を行ったと言われています。

 そうして、この習慣は宮中に広まって糸や針の仕事を司るとされていた「織女星(織姫星)」が輝く「七夕」の夜に、宮中の女性達が御供え物をして、機織やお裁縫が上手くなる事を祈る女性の祭りとなりました。しかし、それから暫くして「星伝説」の主役になった二人に因んで、男女の良縁を祈る意味も加わりました。そうして「乞巧奠」が「祭り」に変化して定着すると、平安時代には宴や相撲大会が開かれたり、室町時代になると「織女祭り」という名で宮中行事の一つになりました。

 江戸時代頃になると、本来の「乞巧奠」の作法は省略されて原型を留めなくなりましたが、御供え物や願い事の習慣は庶民の間にも広く浸透して現在まで残っているのです。

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